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市川猿之助 (初代) : ウィキペディア日本語版
市川段四郎 (2代目)[にだいめ いちかわ だんしろう]

二代目 市川段四郎(にだいめ いちかわ だんしろう、1855年9月2日安政2年7月21日) - 1922年大正11年)2月6日)は明治・大正時代の歌舞伎役者。初代市川猿之助として知られる。屋号澤瀉屋は、
* 猿之助としては、定紋が澤瀉、替紋が三ツ猿
* 段四郎としては、定紋が三升に段の字、替紋が八重澤瀉
本名は喜熨斗 亀次郎(きのし かめじろう)。俳名に笑樂・壽猿がある。
== 来歴 ==
江戸浅草に立師の坂東三太郎の子として生まれる。1859年(安政6年)十三代目市村羽左衛門の門人で市村長松となり子供芝居に出演。1862年(文久2年)9月に江戸市村座に出る。五代目坂東彦三郎の門で坂東羽太作と改名。1870年(明治3年)には河原崎権十郎(のち九代目市川團十郎)の門下に入るが、門人との軋轢から小芝居に出演し、その際、師に無断で『勧進帳』の弁慶を演じたことが勘気にふれ破門となる。この後は山崎猿之助、松尾猿之助と改名を繰り返し、旅興行から大阪の舞台に立つなど辛酸をなめながら芸を磨く。その甲斐あって1890年(明治23年)には師から破門を解かれ、初代市川猿之助となる。翌1891年(明治24年)東京歌舞伎座出世景清』の梶原平次・千葉之助で名題に昇進、九代目の高弟として活躍した。
九代目の死後、1905年(明治38年)9月の歌舞伎座での追善興行では一門を代表して口上を述べた。1910年(明治43年)10月歌舞伎座で『鎌鬚』の六十六部快山実ハ将軍太郎良門・『桐一葉』の大野道軒で二代目市川段四郎を襲名。以後東京歌舞伎の長老として重きを成した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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